伝説の出どころ
「純血種は雑種犬よりも優秀である」という都市伝説の出どころは、「純」と「雑」という日本語が持つ語感だと考えられます。前者からは「鑑定書付きの宝石」や「透き通った水」という印象を受けますが、後者からは「まがい物のガラス玉」や「濁った水」といった印象を受けてしまいます。そして一部の人は、言葉から受けるこのイメージがそのまま犬の価値を表していると勘違いし、深い考察もないまま「純血種>雑種」という不等式を盲信するようになります。このように、語感が持つ印象と犬の価値とを混同した一部の人が寄り集まり、「純血種の犬は雑種犬よりも優秀である」という都市伝説が形成されていった可能性はあるでしょう。近年は「混血犬」、「ミックス犬」、「ハイブリッド」といった代替表現も少しずつ浸透してきているようですが、いまだ「雑種犬」というネガティブな表現を根絶するには至っていません。
また、一部の人間が意図的に情報操作を行い、雑種犬よりも純血種の方が優れているかのような洗脳を行っている可能性も否定できません。例えば動物が登場するテレビ番組などです。この類の番組内では必ずと言っていいほど「子犬や子猫の紹介コーナー」があり、子犬を抱っこしたゲストタレントが「かわいい!」と叫ぶ映像をお茶の間に流します。映像を見た視聴者の頭の中では「犬を飼うなら豆柴だな」とか「○○が飼っているからマンチカン(猫の一種)を飼おう!」といった思考回路が形成され、いつの間にか「動物を飼うなら純血種>雑種」という不等式が出来上がってしまいます。こうした一部のマスメディアによる間接的な宣伝活動も、都市伝説の形成に寄与している事は間違いないでしょう。
伝説の検証
「優秀である」という言葉には複数の意味が含まれていますが、以下では「健康」、「寿命」、「見た目」の3つの分けて考察していきたいと思います。
健康
病気にかかりやすいかどうかを純血種と雑種犬の間で比較する際は、保険会社が収集している統計データが非常に役に立ちます。例えば以下はペットの保険会社「アニコム」が公開している「家庭どうぶつ白書2014」のデータです。「混血犬」単独の折れ線グラフと比較し、「混血犬+純血種」からなる「犬全体」の折れ線グラフがどこに位置しているかに着目します。赤線が示す混血犬グラフよりも青線が示す犬全体グラフが上に来ている場合は、純血種が有病率を高めているということになりますし、逆に混血犬グラフよりも犬全体グラフが下に来ている場合は、純血種が有病率を低下させているということになります。
家庭どうぶつ白書2014(アニコム損保)
このように、「循環器疾患」(全体=5.3%/混血=5.8%)と「寄生虫」(全体=1.2%/混血=1.3%)を除いた全ての疾患分野において、混血犬の方が「0.1~2.1%」低くなっています。つまり全体的にみると、混血犬の方が純血種よりもわずかに病気にかかりにくいということです。この傾向はアメリカのカリフォルニア大学デーヴィス校が行った別の調査でも確認されています。こちらでは純血種の近交係数(遺伝的近さ)が「親子」や「兄弟姉妹」で見られるのと同程度であり、罹患率(一定期間にどれだけの疾病が発生したかを示す指標)を統計的に有意なレベルで悪化させていると報告されています。
寿命
犬がどの程度長生きするかという寿命に関し、純血種と雑種犬で比較した調査があります。
純血種と雑種の寿命比較
- Patronekらの調査(1996年) 北アメリカの研修病院で収集した23,535件の医療データを基に、純血種と雑種犬それぞれの寿命を体重別に精査した。その結果、双方に共通していたのは「体格が大きければ大きいほど寿命が短くなる」という点だった。一方、双方で異なっていたのは、体型が同じ場合、純血種よりも雑種犬の方が寿命が長いという点だった(→出典)。
- Proschowskyらの調査(1997年) デンマークの犬種協会を対象に行ったアンケート調査を基にして、2,928頭の医療データを精査した。その結果、犬全体における死亡年齢の中央値が10.0歳だったのに対し、雑種犬では11.0歳と1歳ほど長命だった。一方純血種に関しては、シェットランドシープドックやプードル、ダックスフントといった特定の品種は12.0歳と長命で、バーニーズマウンテンドッグのような大型犬やサイトハウンドでは7.0歳と短命だった(→出典)。
- O'Neillらの調査(2013年) イギリス国内の動物病院において収集された、トータル102,609頭に及ぶ電子記録のうち、死亡が確認された5,095頭を精査したところ、死亡年齢の中央値は12.0歳だった。また体重が重ければ重いほど寿命が短くなるという反比例の関係が確認され、全体平均では雑種の方が1.2歳長く生きた(→出典)。
見た目
純血種には100種類を軽く超える犬種が含まれており、また雑種犬には様々な血統が混じってるため、両者の見た目を比較することは容易ではありません。ここでは暫定的に2014年度における日本国内の人気犬種TOP10を登録頭数ベースで見てみましょう(→出典)。
JKC・人気犬種2014
一方、以下は写真共有サイトで「混血犬」(mixed-breed dog)というキーワードにヒットした犬の写真です。
両者を比較して言える事は、純血種内でも特に日本で人気の高い小型犬は、雑種犬よりも体が小さく顔が子犬に近いという点です。ですから「ネオテニー」という観点から評価すると、純血種の方に軍配が上がるでしょう。「ネオテニー」(幼形成熟)とは、成熟してからも幼獣の頃の特徴を残している状態のことですが、この度合いが高ければ優れているのかというと、そういうわけではありません。以下はメリットとデメリットの一例です。
ネオテニーのメリット
幼い頃の特徴を成熟してからも残している「ネオテニー」は、時としてその動物の寿命を延ばしてくれることがあります。
人間を含めたあらゆる動物が幼い頃に有している身体的な特徴のことは、一般的に「ベビースキーマ」(Baby Schema)という言葉で表現されます。これは、ノーベル医学生理学賞を受賞した動物学者コンラート・ローレンツが1943年に提唱した考え方で、具体的には「広い額」、「平坦な顔」、「大きな目」、「小さな顎」、「短い手足」といった要素のことを意味します。近年、この「ベビースキーマ」に対する反応は、人間の脳内に生まれつき備わっているもののようだとの研究報告が徐々に増えてきました。例えば以下です。
人間を含めたあらゆる動物が幼い頃に有している身体的な特徴のことは、一般的に「ベビースキーマ」(Baby Schema)という言葉で表現されます。これは、ノーベル医学生理学賞を受賞した動物学者コンラート・ローレンツが1943年に提唱した考え方で、具体的には「広い額」、「平坦な顔」、「大きな目」、「小さな顎」、「短い手足」といった要素のことを意味します。近年、この「ベビースキーマ」に対する反応は、人間の脳内に生まれつき備わっているもののようだとの研究報告が徐々に増えてきました。例えば以下です。
ベビースキーマへの生得的反応
- Langlebenらの調査(2008年) ベビースキーマを含んだ子供の写真を出産経験のない女性に見せたところ、脳の側坐核と呼ばれる部位に特異的な活性が観察された。この部位は食欲や報酬系に関与している(→出典)。
- Glockerらの調査(2009年) コンピューターを用いてベビースキーマを高めた写真(丸い顔+広い額)とベビースキーマを低めた写真(細い顔+狭い額)を用意し、122人の大学生を対象とした調査を行った。その結果、ベビースキーマが高い写真の方が、より可愛く、またより強く世話をしたくなるという評価を得た(→出典)。
- Borgiらの調査(2014年) ベビースキーマを意図的に調整した人間、犬、猫の画像を3~6歳の子供に見せ、その反応を調査した。その結果、ベビースキーマを高く含む画像に対してより強い反応を示した。可愛いと感じる感性は、発達のかなり初期の段階ですでに存在しているようだ(→出典)。
- Hechtらの調査(2015年) 124人の男女に80組の雑種犬の写真を見てもらい、2枚のうちどちらの方が可愛いか評価してもらった。その結果、ベビースキーマ(大きな目+少し離れた目)の度合いが少しだけ高められた写真の方が好まれた(→出典)。
ネオテニーのデメリット
純血種の特徴とも言うべき「ネオテニー」および「ベビースキーマ」は、人心に訴えかけて養育本能をくすぐるという特性を持っている一方、それなりの代償を要求するという側面も持っています。例えば以下は、犬種に特徴的な幼い骨格がもたらす弊害の一例です。
犬種特有の遺伝病
このように、見た目の可愛さを追求して選択繁殖した結果、犬種に固有の疾病が固定化されてしまうことが多々あるのです。イギリスのケンブリッジ大学が公開している犬の遺伝病データベースを見れば、その深刻さが一目瞭然でしょう。さらに犬種特有の身体的特徴は、犬たちを苦しめるだけでなく、時として犬の寿命を縮めてしまうこともあります。2015年11月、「Telegraph」紙はイギリスのチャリティー団体「Battersea Dogs & Cats Home」に持ち込まれる短頭種の数が、近年急増していることを報告しました(→出典)。
記事によると、パグの飼育放棄数は2010年には13頭だったものが、2014年には36頭に急増。同様にシーズーの飼育放棄数は、2010年に44頭だったものが、2014年には70頭にまで急増したとのこと。そして元の飼い主が飼育放棄の理由として挙げたのは、一様に「彼らが患う呼吸器系の問題に対処しきれない」という点だったといいます。家庭に安らぎをもたらすことを期待して迎えたはずのペットが、度重なる体調不良で常に心労の種となり、やがて我慢の限界がきて飼育放棄してしまうというのが一般的なパターンだと考えられます。引き取り手の見つからない犬を殺処分する傾向がある日本においては、「ネオテニー」がやっかいな病気を引き起こし、間接的に犬の寿命を縮めるという可能性も十分あるでしょう。
伝説の結論
純血種と雑種犬が持つそれぞれの特徴を、「健康」、「寿命」、「見た目」と言う観点から試験的に比べてみましたが、どちらの犬にもそれぞれの良さがあるということがわかってきました。ですから「純血種は雑種犬よりも優秀である」という都市伝説は、ケースバイケースで正しくもあり、間違ってもいると考えるのが妥当なようです。
日本のペットショップで売られている犬は、ほとんどが純血種です。ペットを飼う人の多くは何となくペットショップ行って何となく血統書付きの犬に価値を感じ、何となく購入しているのではないでしょうか。しかしこうした衝動買いは、イギリスにおけるパグやシーズーの飼育放棄急増のように、当初は想像もしていなかった不測の事態に対応しきれず、最終的に飼育放棄につながってしまう危険性をはらんでいます。不幸な犬たちを1匹でも減らすため、犬をこれから飼おうとする人は、少なくとも以下に述べるような基本事項について、あらかじめ考えておくことが望まれます。
日本におけるペット産業
日本では年間50万頭を超える子犬が生み出されていると推計されています。こうした子犬の中には、比較的しっかりとしたブリーダーの下で生まれてくる子もいれば、きわめて劣悪な環境下でまるで工業製品のように生まれてくる子もいます。もし自分が子犬を購入することで、悪徳パピーミルに利益を与える可能性があるのだとしたら、ペットショップで犬を購入することを妥当と判断できるでしょうか?
血統書について
ペットショップで売られている子犬には血統書が付いています。血統書はその犬がある特定の犬種に所属していることを証明するものですが、性格や健康状態を保証するものではありません。もし「別に犬種にはこだわらない」という考えを少しでも持ち合わせている場合、ペットショップで血統書付きの犬を飼うことに必要性を感じるでしょうか?
犬種標準について
犬種にはそれぞれ「犬種標準」(スタンダード)と呼ばれる、理想の姿を記した仕様書のようなものが存在しています。しかしその理想の姿と言うものは、19世紀頃の趣味人が暇つぶしの延長で考え出したものを、まるで絶対基準のように現代の犬に押し付けているものです。もしトイプードルの尻尾を切り落としたり、ミニチュアピンシャーの耳を切ったりすることに美容上の目的しかないのだとしたら、こうした習慣を容認できるでしょうか?
犬種特有の疾患について
犬の遺伝病データベースにあるように、ある特定の犬種にはある特定の遺伝的な疾患が必ずと言っていいほど存在しています。そしてその中には、犬に対して慢性的な苦痛を与える「鼻腔狭窄」や「膝蓋骨脱臼」といった深刻なものも含まれます。もしこうした苦痛が、「鼻ペチャ」や「ティーカップサイズ」という身体的な特徴の結果だとしたら、犬種標準に合わせるための選択繁殖を人道的と判断できるでしょうか?
殺処分問題について
日本国内では年間、およそ2万8千頭(平成25年度)の犬たちが殺処分されています。こうした犬たちの多くは、無責任な飼い主による飼育放棄によって構成されています。また命を奪う方法は、薬剤を用いた安楽死ではなく、苦痛を伴う炭酸ガスがほとんどです。もし自分が殺処分される犬の数を1頭でも減らすことができるのだとしたら、ペットショップから犬を購入するのではなく、動物保護施設から里子を迎えるという選択肢を考慮してもよいと思えるか?