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犬の脳と頭のよさ

 犬は哺乳類の中でも頭がよく、訓練やしつけにきわめてよく反応する動物です。では、具体的にはどのような分野において秀でているのでしょうか?以下では犬が有していると思われる様々な能力について検証し、それらがしつけをする際、どのように利用できるかを考えていきたいと思います。

犬の短期記憶能力

 犬の短期記憶能力、すなわち犬が一時的に記憶を保持する能力を実験した結果、犬は2~3秒くらい前のことなら正確に想起できるという結論が導かれました。犬の短期記憶力を測定する際、研究者たちは主に「視覚移動」(しかくいどう)と呼ばれる手法を用いてきました。手順は以下です。
視覚移動の実験方法
  • 4つの全く同じ箱を用意する
  • 実験者が箱の中の一つにおもちゃを隠す
  • 隠したおもちゃを取りに行くよう犬をしつける
  • おもちゃを隠した箱と犬との間をついたてで仕切り、一定時間犬から見えない状態にする
  • 一定時間が経過後、ついたてを取り、犬におもちゃを取りに行かせる
 犬と箱とを仕切っていたついたてが取り払われたとき、もし犬がおもちゃの隠された箱に直行した場合、それは犬が「あの箱の中におもちゃがあった」という記憶を保持していることの証拠になります。逆に、うろうろ迷った挙句、全ての箱を手当たり次第に開けていくようなら、犬はおもちゃの位置を記憶していないということになります。
 さて、実験の結果、ついたてで仕切る時間が2~3秒であれば、ほとんどの犬が正しい箱に直行できたそうです。しかし仕切る時間が30秒を超えると、正解率が徐々に低下することも同時に明らかになりました。すなわち、犬が確実に思い出せるのは、せいぜい2~3秒前の出来事であることが判明したのです。その後2015年に行われた調査で、犬の短期記憶能力は平均すると71秒であるとの発表がなされましたが、やはり2~3秒前のことを思い出すよりも、30秒前のことを思い出すときの方が時間がかかってしまうことに変わりはありません。 犬は恩を忘れない?
犬のしつけへの応用
 犬の短期記憶能力に関するこの事実は、ほめるときも叱るときも、行動の直後にという基本原則の重要性を物語っています。つまり、行動してから30秒や1分以上たってからではなく、行動の直後でなければ、犬は何に対して飼い主が怒ったり喜んだりしているのかを理解できないということです。

犬の回想能力

 犬の回想能力、すなわち過去の出来事と現在の出来事とを結び付けて理解する能力を示す事例によると、犬は過去の出来事と現在の状況の因果関係を結びつけることができないようです。
 バーナード大学の認知心理学者、アレクサンドラ・ホロウィッツは、犬の「罪悪感」に関する興味深い実験を行いました。具体的な手順は以下です。
犬の罪悪感・実験手順
  • 犬と飼い主とを別々の部屋に待機させる
  • 犬のいる部屋におやつを置き、食べる食べないは犬の自由とする
  • 飼い主が犬の部屋に入る前に、「犬がおやつを食べてしまった」と飼い主に伝える
  • 飼い主が部屋に入り、普段通りのやり方で叱ってもらう
 さて結果は、犬の中には確かに罪悪感を抱いていると思わせるような後ろめたいしぐさを見せるものがいたそうです。具体的には目を背ける、おなかを見せる、しっぽを下げる、遠ざかるなどですが、興味深いのは、こうしたしぐさを見せた犬の中には、実際におやつをつまみ食いしておらず、罪悪感を抱く筋合いのないものも含まれていたという点です。
 こうした事実からホロウィッツ氏は、犬が罪の意識を感じているような行動を取るのは、過去に自分が行った悪い行動を振り返って反省しているのではなく、今、目の前にいる飼い主の、いかにも怒っているような雰囲気を察したためである、と結論付けています。つまり、犬は過去の出来事と現在の状況の因果関係を、結び付けているわけではないとも言えます。
 2016年にハンガリーで行われた調査では、犬にも人間と同じように体験を長期的に記憶する「エピソード記憶」と呼ばれるものが備わっている可能性が示されました。しかしエピソード記憶をもっていたとしても、現在の賞罰が過去の膨大な数のエピソード記憶のうちどれを対象としているのかを犬に教えなければ意味がありません。人間の場合は言葉を使って「ピンポンダッシュをしてはいけません!」と伝えることができますが、犬の場合はそうはいきませんね。 犬のエピソード記憶 犬も反省する?
犬のしつけへの応用
 犬の回想能力に関するこの事実は、ほめるときも叱るときも、行動の直後にという、犬のしつけの基本原則の重要性を物語っています。外出から帰り、留守番していた犬が観葉植物をひっくり返していたことがわかると、ついつい感情的に叱ってしまいがちですが、過去の出来事に対していくらガミガミ犬をしかっても、何のしつけ効果もないというわけです。

犬の模倣能力

 「猿真似」という言葉が示すように、霊長類には他の個体の動きやしぐさを真似する能力があることは有名ですが、このものまね能力は犬にも備わっているようです。
 ニューヨーク市立大学のアドラー夫妻は、ダックスフントを用いて犬の模倣能力に関する実験を行いました。具体的な手順は以下です。
犬の模倣能力・実験手順
  • ダックスフントを2頭1組にする
  • 1頭を実行役、もう1頭を観察役に設定する
  • おやつの入ったカートをレールの上におき、カートについたリボンを引っ張るとおやつを取れるようにする
  • 実行役をカートのそばに置き、ヒントを与えずに自力でおやつを取れるまで待つ
  • 観察役には金網越しに実行役の様子を観察させる
  • この観察を5回繰り返す
  • 今度は観察役をカートのそばに置き、ノーヒントでおやつが取れるまで待つ
  • おやつを取り出すまでのタイムを計測し、実行役のものと比較する
 結果、まったく予備知識を持たない状態で取り掛かった実行役の平均タイムが590秒(約10分)だったのに対し、あらかじめ正解動作を観察していた観察役の平均タイムは、わずか40秒というものでした。かかった時間が1/10以下という実験結果から、犬が他の個体の動作を見てそれを模倣する能力があることが示されました。
 また、南アフリカの警察犬学校で行われた実験でも同様の結論が導き出されています。この実験で用いられたのはジャーマンシェパードの子犬20頭で、犬たちには生後6~12週までの間に週数回、母犬が麻薬の入った袋を探し、回収する様子を観察させました。生後6ヶ月齢になったとき、これらの子犬を用いた回収能力テストが行われましたが、結果は、子犬たちの85%までが、麻薬犬としての合格ラインである5点以上を獲得するというものでした。さらに麻薬犬として完全な訓練を受けた犬たちと何ら遜色(そんしょく)のない10点満点中9点という高得点を、20頭のうち4頭がとるという快挙まで成し遂げます。
 全く予習していない子犬の平均合格率が19%であるという事実と考え合わせると、85%という極めて高い合格率は、犬たちが他の犬の行動を観察するだけで学習することができるという可能性を強く示すものと言えます。 犬はモノマネが得意?
犬のしつけへの応用
 犬の模倣能力に関するこの事実は、多頭飼いをしている家庭において役立つかもしれません。たとえば新しく迎えた子犬にトイレを教えるとき、先住犬がおしっこやうんちをする姿をあらかじめ見せておけば、そのこと自体が、一種のしつけになってくれる可能性があります。また近年は「真似してごらんメソッド」の有効性が確認されつつあります。これは飼い主の動きを真似するよう犬を訓練する方法のことで、対象物に働きかけるような動作に関しては、通常のクリッカートレーニングよりも早くマスターさせることができるといわれています。詳しくは犬はモノマネが得意?をご参照ください。

犬の動作読み取り能力

 ハーバード大学の心理学者、ブライアン・ヘア氏は、犬がもつ人間の動作を読み取る能力について実験を行いました。これはエサの場所を人間のジェスチャー(指をさす・指で叩く・見つめるなど)だけから理解させるというものでしたが、結果、犬はジェスチャーの意味をチンパンジーの4倍早く読み取り、さらに正解率に関しては人間の子供の2倍という成績だったそうです。
 オオカミを用いて同様の実験を試みたところ、犬よりはるかに点が低かったという事実、そして人間と接する機会の無かった生後9週齢の子犬でも、オオカミやチンパンジーより好成績を収めたという事実から、犬のもつ動作読み取り能力が、祖先であるオオカミから受け継いだものではなく、犬という種だけに発達した特殊な能力であるという推察がなされ、現在も議論が続いています。 犬は人間と共に進化してきた? 犬は小型の狼である?
犬のしつけへの応用
 犬にこうした動作読み取り能力が備わっているからこそ、声による指示だけではなく、ハンドジェスチャーによる指示もよく覚えてくれるのでしょう。言葉による聴覚的な指示よりも、手を用いた視覚的な指示の方が犬にとって覚えやすいとも言われますので、日ごろから様々なハンドジェスチャーを覚えさせておけば、犬が老齢になって耳が悪くなったときに必ず役に立ちます。

犬の聞き取り学習能力

 イギリス・デモントフォート大学のスー・マッキンリーらは、人間の会話内容だけから、犬が物とその名称を記憶できることを証明しました。実験手順は以下です。
犬の聞き取り学習能力・実験手順
  • 二人の人間がハンマーを持ちながら、「ハンマー」という単語が最後にくるように会話する
  • 犬に会話の様子を観察させる
  • 観察後、犬に「ハンマーをとってこい」と命じる
  • 犬がハンマーそのものと「ハンマー」という単語を記憶しているかどうかを確認する
 結果は、「会話の最後に単語がさしはさまれたときだけ」という条件付ではあるものの犬は人間の会話を聞くだけで単語を記憶することができるというものでした。さらに、犬の目の前でハンマーを見せながら「ハンマー」という音を繰り返すことで覚えさせた標準訓練グループと比較しても、作業を実行するスピードや正確さに差は見られなかったといいます。 犬は人間の言葉が分かる?
犬のしつけへの応用
 犬のもつこの聞き取り学習能力は、犬に指示を出すときのヒントになってくれそうです。上記実験で、犬が言葉をよく記憶してくれたのは、会話の最後に特定の単語を持ってきたときでした。この語順という観点をしつけに応用すると、「おいで、ジョン!」と言うのではなく、「ジョン、おいで!」という具合に、犬に対する指示語を最後に持ってくる方がよいということになります。ちょっとした工夫ですが、まずは犬の名前を呼ぶことで注意をこちらに向け、その後で指示語を出したほうが、犬にとっては理解しやすいという可能性が見えてきます。

非言語的コミュニケーション能力

 非言語的コミュニケーション(ノンバーバルコミュニケーション)とは、身振り、姿勢、表情、視線に加え、服装や髪型、声のトーンや声質など言葉以外の要素を通じて相手に意思を伝えることです。ジェスチャーなどの多くは文化によって異なるものの、怒り、失望、恐怖、喜び、感動、驚きなど、人間のもつ基礎的な感情に対する表情は、世界共通とされます。
 さて、この非言語的コミュニケーションに関しては、犬にも多少能力が備わっているようです。2010年、サラ・マーシャルらは、「犬は人間同士だけのコミュニケーションから、個々の人柄を理解できるか」というテーマで実験を行いました。実験手順は以下です。
犬の性格把握テスト手順
  • 3人の役者を用意する
  • 1人は物乞い、1人は寛大な人、1人は利己的な人としてキャスティングする
  • 寛大な人が物乞いのお願いを聞き入れてお金を差し出す様子を犬に見せる
  • 利己的な人が物乞いのお願いを無視する様子を犬に見せる
  • 舞台上から物乞いを退場させ、寛大な人と利己的な人だけにする
  • 犬を舞台上に上げ、2人のうちどちらに近づこうとするかを確認する
 結果は、多くの犬が寛大な人とのふれあいを求め、利己的な人といるより長い時間を一緒にすごそうとしたというものでした。
 また2006年、ジョン・ブラッドショー氏らは、「家庭内における人間と別の犬との関係を理解できるか?」というテーマで実験を行いました。実験手順は以下です。
人間関係把握テスト手順
  • 人と犬とが遊べる部屋を設ける
  • 1部屋では、楽しそうに遊ぶ様子を犬に観察させる
  • もう1部屋では、つまらなそうに遊ぶ様子を犬に観察させる
  • 犬をそれぞれの部屋に開放し、リアクションを観察する
 結果は、犬は楽しそうに遊んでいた犬や人(特にゲームの勝者)に近づこうとする反面、つまらなそうにしている犬や人には近づこうとしなかったというものでした。
 こうした幾つかの事例を考察すると、犬は観察を通じて相手の人間に対する接し方を変えている、すなわち、犬には人間の発する非言語的なメッセージをある程度読み取る能力があると言い換えることもできそうです。 犬は人間の言葉が分かる?
犬のしつけへの応用
 犬の非言語的コミュニケーション能力に関しては、犬をほめたり叱ったりするときに応用できそうです。盲導犬訓練士として有名な多和田悟氏は、候補犬が課題をうまくこなせたとき、多少大げさに高い声を出してほめるといいます。これには、声のトーンや表情という非言語的なメッセージを通して、「飼い主が喜んでいる」ことを明確に犬に伝えるという効果があります。私たちが家庭で犬のしつけをする際も、大げさに笑顔を作ったり、大げさに声のトーンを変えたりしたほうが、犬にとっては場の空気を読みやすくなるでしょう。

しつけやすい犬のリスト

 犬の外見が千差万別であるように、犬種ごとの学習能力にも多少のばらつきがあるようです。
 ベンジャミンとリネットのハート夫妻は、96人の専門家に対し、服従訓練をする場合、最も訓練しやすい犬から最も訓練しにくい犬まで、56犬種についてランク付けをしてもらいました。また、スタンレー・コレン氏は、199名の服従訓練審査員に対し、110犬種について訓練のしやすい犬種順に並べてもらいました。
 上記調査で挙がってきた犬種の内、コレン氏の調査で名前が登場するものをリストアップすると、以下のようになります。また、ハート夫妻とコレン氏、両方の調査で共に名前の挙がってきたものは★印をつけました。この犬種リストは絶対的ではないものの、しつけのしやすい犬種としにくい犬種の、大まかな目安にはなってくれそうです。つまり、犬の飼育初心者がいきなりアフガンハウンドに芸やトリックを仕込もうとすると、おそらくうまくいかないだろうという予測を付けやすくなるということです。 デキのいい犬、わるい犬(文芸春秋)
訓練しやすい犬
訓練しにくい犬
犬の学習能力や記憶力に関しては「犬にも知能差がある?」というページでも詳しく検証しています。