クリッカーとは?
クリッカー(clicker)とは指で押すと「カチッ!」というクリック音が鳴る小さな道具のことです。時間、場所、操作する人にかかわらず音程や長さが均一な音を出せること、および騒音の中でも比較的聞き取りやすいことなどから、犬のしつけを行うときによく利用されています。
NEXT:クリッカーの使い方
クリッカートレーニング
世界共通の定義はないものの、「クリッカートレーニング」と言った場合、狭い意味ではクリッカーを用いて犬の行動頻度を高めたり低めたりするトレーニングのことを意味します。また広い意味では、犬にごほうびを与えて行動頻度を高める正の強化全般を意味します。NEXT:クリッカーの使い方
クリッカーの使い方
クリッカーはオペラント条件付けを促す際に使われます。「犬のしつけの基本理論」でも解説した通り、オペラント条件付けとは自分に快感を与える刺激を求めたり、逆に自分に不快感を与える刺激を避けるために行動頻度が変化することを意味します。
ごほうびを補助
オペラント条件付けにおける基本的な4パターンを人間に当てはめて例示したものが以下です。「正」は刺激を提示すること、「負」は刺激を取り除くこと、「強化」は行動頻度が高まること、「弱化」は行動頻度が低くなることを、それぞれ意味しています。基本的にクリッカーが用いられるのは4つあるパターンのうち、何らかのごほうびによって行動の頻度を高める「正の強化」です。
オペラント条件付けの4パターン
- 正の強化首をポキポキ鳴らすと気持ちがいいので首を鳴らすことが癖になってしまう=心地よい刺激に触れて行動頻度が高まる
- 正の弱化へそのゴマを掃除しておなかが痛くなったので二度と触るまいと誓う=不快な刺激に触れて行動頻度が低くなる
- 負の強化電動自転車に馴れてしまったので普通の自転車には戻れなくなり、ずっと使い続ける=不快な刺激が取り除かれて行動頻度が高まる
- 負の弱化Twitterで政治的な発言をしたら「いいね」がつかなくなったので発言を控えるようになる=心地よい刺激が取り除かれて行動頻度が低くなる
クリッカーを使うタイミング
後述するように、クリッカートレーニングの背景にある理論的根拠は様々で、トレーニングを行っている人自身が正確に理解していないことも少なくありません。そうした細かい違いをいったん取り払い、クリッカーの共通した使い方だけを抽出すると以下のようになります。
犬の正解行動→クリッカー→ごほうび「ごほうび」とは犬に快感を与える刺激(一次強化子)のことで、おやつ、おもちゃを使った遊び、ほめ言葉、マッサージなどが含まれます。クリッカー(クリック音)は、トレーナーが目標としている犬の行動と、その行動の頻度を変化させるために与えるごほうびの間のちょうど中間地点に挟まれます。より厳密に言えば行動の直後0.5秒、ごほうびの直前0.5秒くらいのタイムフレームで、行動の前でもなければごほうびの後でもありません。このサンドイッチ型が全てのクリッカートレーニングに共通している図式です。
クリッカーチャージ
「クリッカーチャージ」(Clicker Charge)とは、クリッカーの音とごほうびとを古典的条件付けを通してペアリングする下準備のことです。
古典的条件付けとは中性的な刺激と一次強化子とが頭の中でリンクし、中性刺激を認識しただけで生理的な反応が生じる状態のことを意味しています。例えば食事の前にベルの音を聞かされ続けた犬が、ベルの音を聞いただけでよだれを垂らすようになるなどです。
クリッカーチャージにおいては通常、「クリック音→0.5秒以内にごほうび」というペアリングが5~20回程度行われます。ペアリングが終わり、クリック音を聞いたらごほうびを期待するようになった状態を「クリッカーワイズ(Clicker Wise)」もしくは「クリッカーサヴィ(Clicker Savvy)」などと表現している人もいます。
NEXT:科学的な理論は?
古典的条件付けとは中性的な刺激と一次強化子とが頭の中でリンクし、中性刺激を認識しただけで生理的な反応が生じる状態のことを意味しています。例えば食事の前にベルの音を聞かされ続けた犬が、ベルの音を聞いただけでよだれを垂らすようになるなどです。
クリッカーチャージにおいては通常、「クリック音→0.5秒以内にごほうび」というペアリングが5~20回程度行われます。ペアリングが終わり、クリック音を聞いたらごほうびを期待するようになった状態を「クリッカーワイズ(Clicker Wise)」もしくは「クリッカーサヴィ(Clicker Savvy)」などと表現している人もいます。
NEXT:科学的な理論は?
クリッカーの科学的な理論
クリッカーによってオペラント条件付けが促されるのだとしたら、その背景には一体どのようなメカニズムが働いているのでしょうか?完全には解明されていないものの、現在3つの理論が想定されています。
二次強化子理論
二次強化子理論とは、一次強化子と結びついた中性刺激が二次強化子となり、それ自体が行動頻度を変えるだけの報酬的な特性を有するようになるとする仮説です(:Skinner, 1938)。わかりにくい場合は一次強化子をおやつ、中性刺激をクリッカー、二次強化子をおやつの予告と読み替えても構いません。「クリッカーを鳴らす→おやつを与える」という古典的条件付けを繰り返し行うと、犬にとってクリッカーの「カチッ!」という音自体がごほうびになるというイメージです。
画像の元動画→More Stimulus Discrimination
例えばラットを対象とし、白と黒を見分けた直後にごほうびを与えるというデザインでオペラント条件付けを行った場合、マスターするまでにかかった回数は20回だったといいます。ところが目標とする行動(=色の見分け)からごほうびまでの間に5秒間のタイムラグを置いただけで、この回数が580回にまで跳ね上がったとも。しかし目標とする行動の直後に、あらかじめ報酬とリンクしておいた二次強化子を挟み込むと、実際の報酬までの間に5秒間のタイムラグがあるにもかかわらず、マスターまでに必要な回数が580回から155回にまで減ったそうです(:Grice, 1948)。
また別の実験では、ドワーフゴート(小型のヤギ)を5頭と6頭からなる2つのグループに分け、前者にはごほうびだけ、後者にはごほうび+二次強化子(音響刺激)という違いを設けた上で特定の形を見分けるようオペラント条件付けを行いました。その結果、事前に設定した合格基準に達するまでに要したトライアルの総数に関し、前者が3,700回だったのに対し後者が1,320回だったそうです(:Langbein, 2007)。
さらにアメリカ・エモリー大学の調査チームは、脳や脊髄内を流れている血液の動態を捉えて視覚化する「fMRI」を用いた検証実験を行いました。あらかじめ犬たちに古典的条件付けを行い、ごほうびと特定のハンドシグナルとをリンクさせた上で脳内の血流変化をモニタリングしたところ、ハンドシグナルを見た犬では報酬に対して反応する「尾状核」(びじょうかく)と呼ばれる部位が活性化したといいます。これは二次強化子が犬にとってごほうびになっていることを示す有力な証拠です。
マーカー理論
マーカー理論(マーキング理論)とは、目標とする行動と時間的に近接した中性刺激が学習を促すという仮説のことです。注意をひくような刺激によって動物の集中力が高まり、前後の状況が通常よりも強固に記憶に残るという理屈が根拠になっています(:Lieberman, 1979)。
学術分野におけるマーカー刺激は、報酬的な特性を有していない中性刺激であり、なおかつ動物を「ハッ!」とさせるだけの新奇性を有していることが必要とされます。一部のドッグトレーナーはクリッカーを「マーキング刺激」とか「マーカー」の一種と呼んでいますが、上記した狭義に従うと、あらかじめごほうびと結びつけて繰り返し用いるクリッカー(クリック音)はそもそもマーカーではないということになるでしょう。
学術分野におけるマーカー刺激は、報酬的な特性を有していない中性刺激であり、なおかつ動物を「ハッ!」とさせるだけの新奇性を有していることが必要とされます。一部のドッグトレーナーはクリッカーを「マーキング刺激」とか「マーカー」の一種と呼んでいますが、上記した狭義に従うと、あらかじめごほうびと結びつけて繰り返し用いるクリッカー(クリック音)はそもそもマーカーではないということになるでしょう。
ブリッジ理論
ブリッジ理論とは、目標とする行動と報酬との間に時間差があっても、その間を架橋する刺激があれば学習が阻害されにくくなるという仮説のことです。時間差の中に占める刺激の割合が長ければ長いほど効果が強くなるとされます(:Kaplan, 1982)。
画像の元動画→Pigeon Turn/YouTube
例えばハトを対象とし、特定の対象物をつついたらごほうびが与えられるというオペラント条件付けを行いました。つつき動作とごほうびとの間にブリッジ刺激があった場合、特定の答えをつつけるようになるまでに要したトライアル回数が少なくなり、またブリッジ刺激が長いほど成績が良かったといいます。ただしこの実験では、あらかじめブリッジ刺激がごほうびと結び付けられていましたので、先述した「二次強化子理論」と完全に区別して考えることはできません。
NEXT:本当に効果あるの?
NEXT:本当に効果あるの?
犬に対して効果はある?
実験室レベルではげっ歯類や鳥類に対する有効性が示唆されているクリッカーですが、犬に対しても同じような効果を発揮してくれるのでしょうか?
犬に対する効果は未証明
1990年代から有名になり、現在では数多くの書籍、しつけ教室、ドッグトレーナーが「科学的な」訓練法として推奨しているにも関わらず、その有効性を科学的にしっかり検証した調査報告はほとんどありません。意外かもしれませんが、2020年の時点で確認できるクリッカートレーニングをテーマとして書かれた数少ない論文の内容をまとめると「有効性は認められない」となります。有効性がないだけならまだしも、中には犬のパフォーマンスが悪化したとするものまであるので厄介です。
以下のページでは論文の具体的な内容をご紹介しています。「メリット」は大なり小なり効果が見られた論文、「デメリット」は逆に成績が落ちたとする論文、「効果なし」は何の有効性も認められなかったと結論づけている論文集です。すべての論文を簡潔にまとめると「当サイト内で紹介している程度の単純なしつけにおいてクリッカーは必要ない」となります。
以下のページでは論文の具体的な内容をご紹介しています。「メリット」は大なり小なり効果が見られた論文、「デメリット」は逆に成績が落ちたとする論文、「効果なし」は何の有効性も認められなかったと結論づけている論文集です。すべての論文を簡潔にまとめると「当サイト内で紹介している程度の単純なしつけにおいてクリッカーは必要ない」となります。
飼い主に対する効果はあり
残念ながら、犬に対するクリッカーの効果は科学的に実証されていません。しかし確かと思われる効果が一つだけあります。それは飼い主の知識レベルが高まるという点です。
クリッカーチャージを行う過程では古典的条件付けの基本が自然と学べます。クリッカーを使う状況では「正の強化」という、犬に対して最も優しいオペラント条件付けの基本が学べます。そしてクリック音を鳴らすタイミングでは、ごほうびの効果を最大限に高めるための短いタイムフレームを見極めることができるようになります。つまり「クリッカートレーニング」という方法論の中には、犬のしつけを行う際に必要となる最低限の知識がうまく凝縮されているのです。
発想を転換して「クリッカートレーニングは飼い主のための学習教材」と考えると、大いに有効性があると言えるでしょう。
NEXT:使用上の注意とコツ
クリッカーチャージを行う過程では古典的条件付けの基本が自然と学べます。クリッカーを使う状況では「正の強化」という、犬に対して最も優しいオペラント条件付けの基本が学べます。そしてクリック音を鳴らすタイミングでは、ごほうびの効果を最大限に高めるための短いタイムフレームを見極めることができるようになります。つまり「クリッカートレーニング」という方法論の中には、犬のしつけを行う際に必要となる最低限の知識がうまく凝縮されているのです。
発想を転換して「クリッカートレーニングは飼い主のための学習教材」と考えると、大いに有効性があると言えるでしょう。
NEXT:使用上の注意とコツ
クリッカー使用上の注意とコツ
犬に対する効果は科学的に実証されていないものの、「面白そうだからクリッカーを使ってみたい!」とお考えの方もいることでしょう。もしクリッカーを犬のしつけや訓練に取り入れる場合は、以下のような注意点を念頭に置くと失敗が少なくて済むと思われます。なお「クリッカートレーニングのデメリット」でも解説したとおり、クリッカー(クリック音)の存在が犬の学習能力を逆に低下させるケースもありますので、合わないと思ったときは速やかに使用を中止してください。
事前チャージをしっかりと
クリック音とごほうび(一次強化子)のペアリングを事前にしっかり行います。実験室レベルのデータから一般的に行われているペアリングの最低回数は5回で、多くとも20回程度繰り返せば、犬はしっかりと両者のリンクを覚えてくれるとされます。クリック音とごほうびのタイムラグは0.5秒、長くても1秒未満にして下さい。また「ごほうび→クリック音」には意味がありませんので「クリック音→ごほうび」という順番にもご注意下さい。
おやつは手から与える
一次強化子となるごほうびとしておやつを用いる場合は、基本的に飼い主の手から与えるようにして下さい。簡単かつ指先をうっかり噛まれなくて済むことから、おやつを地面に放り投げる人がいますが、さまざまな観点から望ましくありません。
まず屋外の地面はアスファルトであれ草地であれ、誰かがつばやたんを吐いている可能性があります。また地表にはかなり高い確率で回虫を始めとした内部寄生虫の虫卵が散らばっています。さらに2020年以降は新型コロナウイルスが蔓延していますので、どこに病原体が転がっているかわかったものではありません。犬に拾い食いの癖がついてしまう危険性もありますので、おやつは基本的に飼い主の手から与えるようにします。
まず屋外の地面はアスファルトであれ草地であれ、誰かがつばやたんを吐いている可能性があります。また地表にはかなり高い確率で回虫を始めとした内部寄生虫の虫卵が散らばっています。さらに2020年以降は新型コロナウイルスが蔓延していますので、どこに病原体が転がっているかわかったものではありません。犬に拾い食いの癖がついてしまう危険性もありますので、おやつは基本的に飼い主の手から与えるようにします。
クリック音は行動の直後に
行動と強化子の間にタイムラグがありすぎると、犬がもぞもぞ動き、それに対してクリック音を与えてしまう危険性があります。例えば「おすわり」のしつけを行っている際、クリッカーを鳴らすタイミングが遅れ、犬が立ち上がってこちらに向かって歩き出した瞬間にうっかりクリック音を聞かせてしまうなどです。こうした偶発的な強化をしないためにも、クリック音は行動の直後に聞かせる必要があります。クリック音と正解行動のタイムラグは0.5秒、長くても1秒未満にして下さい。
クリック音の後にはごほうびを
クリック音が二次強化子になっていても、一次強化子に比べるとその力は脆弱です。クリック音だけ聞かせてその後に続くごほうびがないと、30~50回程度で報酬としての価値を失い、単なる中性刺激に戻ってしまいます(Skinner, 1933)。毎回とまでは言わないまでも、クリッカーを使った後は高い頻度でごほうび(おやつ・ほめる・遊ぶ etc)を与え、リンクが途切れないように心がける必要があります。
なお「ドーパミン報酬予測誤差」という恐ろしい仮説があり、これまで得ていた一次強化子がなくなると、それまで二次強化子だったものが中性刺激に戻るのではなく、不快感を与える嫌悪刺激になる可能性が示されています。平たく言うと「飼い主が思わせぶりにクリッカーを乱用すると、犬はクリック音を聞いただけで落胆やフラストレーションを抱くようになる」ということです。これではハラスメントですね。
なお「ドーパミン報酬予測誤差」という恐ろしい仮説があり、これまで得ていた一次強化子がなくなると、それまで二次強化子だったものが中性刺激に戻るのではなく、不快感を与える嫌悪刺激になる可能性が示されています。平たく言うと「飼い主が思わせぶりにクリッカーを乱用すると、犬はクリック音を聞いただけで落胆やフラストレーションを抱くようになる」ということです。これではハラスメントですね。
まず飼い主自身がごほうびになる
当ページ内で繰り返し述べているように、犬に対するクリッカートレーニングの効果は科学的に証明されていません。ミニブタを対象とした調査では、複数の細かいステップからなる複雑な行動の学習(シェーピング)において有効性が示唆されているものの、犬を対象とした同様の調査は行われておらず、拡大解釈できるかどうかは不明です。現時点では複雑な動作を伴わない簡単なしつけにおいてクリッカーは必要ないと表現するのが最も偏りのない意見になるでしょう。犬の訓練やしつけにおいて重要なのはクリッカーの有無ではなく、まずは飼い主自身が犬にとってのごほうびになってあげることだと考えられます。
例えばさまざまな感情を含んだ人間の声を犬に聞かせた所、感情がポジティブかネガティブかによって右脳と左脳を使い分けている可能性が示されています。クリック音は常に抑揚のない単発的な音ですが、犬の感覚からすると飼い主の感情がこもった「いいこ~!」という褒め言葉の方が報酬になりやすいかもしれません。
また「怒った顔」と「笑った顔」という2枚の写真を用いた凝視テストにより、犬は人間の表情と声の両方から感情を読み取れることが明らかになっています。犬の正解行動に対し、ほめ言葉だけでなく笑顔も同時に見せてあげれば、それ自体が社会的なごほうびになってくれる可能性が十分にあります。
さらに飼い主が何もしていなくても、ただそこにいるだけで犬は満足してくれるという報告もあります。飼い主の存在が犬にとってのごほうびになっていれば、訓練やしつけという状況自体が遊びになり、学習が促進されるはずです。しつけと称して犬を怒鳴りつけたり叩いたりしている場合、飼い主の存在は犬にとって「嫌なことが起こる合図」となり、二次的嫌悪子になってしまいます。逆に日常的に犬をほめたりなでたりしている場合、飼い主の存在は犬にとって「良いことが起こる合図」となり、力強い二次的強化子になってくれるでしょう。
やや複雑な動きを要する「芸やトリック」においてクリッカーが役立つかもしれませんが、実証はこれからの分野です。クリッカーという方法論に頼る前に、まずは飼い主自身が犬にとってのごほうびになるよう心がけましょう。