短頭犬における目の特徴
「短頭種眼科症候群」(brachycephalic ocular syndrome, BOS)は鼻ぺちゃの短頭犬に多く発症する眼科系疾患の総称。日本語の対訳がないため、当ページ内では便宜上直訳した語句を使用していきます。
短頭種で眼科系疾患が多い理由には、以下で述べるような眼球周辺の解剖学的な特徴が大きく関わっています。
Lionel Sebbag, Rick F. Sanchez, Veterinary Ophthalmology(2022), DOI:10.1111/vop.13054
短頭種で眼科系疾患が多い理由には、以下で述べるような眼球周辺の解剖学的な特徴が大きく関わっています。
短頭種の目の特徴
- 余剰皮膚口吻(マズル)が短いため眼球の近くにある皮膚が余り、そこから生えている毛が眼球表面に触れやすくなります。
- 眼球突出短頭犬の眼窩は狭く浅いため、内部にすっぽり収容すべき眼球が完全に入り切らず、前方に突出した様相を呈します。
- 巨大眼裂・兎眼眼球の前方突出に伴ってまぶた(眼瞼裂)が大きくなり巨大眼裂(macroblepharon)を呈するようになります。またまぶたが眼球を完全に覆うことができず兎眼(とがん=まぶたを完全に閉じることができない症状)状態が維持されます。
- 眼瞼の内反内側下眼瞼の内反が多く報告されています。下まぶたが内側に反り返ることにより、被毛が眼球表面に突き刺さる形になります。
- まつげの異常二列睫毛や異所性睫毛といったまつげの異常が多く報告されています。
- 神経分布が粗角膜に分布する角膜上皮下神経や角膜基底下神経に関し、短頭種では中頭種よりも少ないと報告されています。また中枢神経レベルにおける角膜の感受性も50~93%低いとの調査結果もあります。
- 角膜輪部の上皮が薄い角膜輪部(リンバス, limbus)とは黒目(角膜)と白目(強膜)の境界部のこと。短頭種では角膜輪部の鼻側および側頭部における上皮が薄いという特徴があります。
- 涙が少ない涙を構成する水性涙液に関し、短頭種では最大で14%ほど少ないとされています。原因としては、鼻腔内の空気の流れが悪いため鼻腔粘膜への刺激が足りなくなり、基礎涙(反射経由でない涙)の生成が阻害されることなどが想定されています。ちなみに鼻腔粘膜への刺激は基礎涙生成量のおよそ1/3に関わっています。
Lionel Sebbag, Rick F. Sanchez, Veterinary Ophthalmology(2022), DOI:10.1111/vop.13054
短頭種に多い目の疾患
上のセクションで解説した短頭種の解剖学的な特徴により、さまざまな眼科系疾患が引き起こされやすくなります。以下は具体的な疾患名と発症メカニズムの一例です。
結膜充血・浮腫
短頭種では短いマズル(短吻)によって皮膚が余り、眼球周辺に毛がまとわりつきやすくなります。さらに平常時の眼球突出、安静・睡眠時の巨大眼裂や兎眼、まつげの異常が追い討ちとなり、眼球の表面に毛が触れやすい環境が維持されます。目の表面に絶えず異物が接している状態ですので炎症が起こりやすくなり、結膜の充血や浮腫につながります。
ドライアイ
巨大眼裂・兎眼によりまぶたを完全に閉じられない状態が長く続きます。その結果眼球表面と外気との接触時間が増え、涙の蒸発が促されて乾燥しやすくなります。加えて、鼻閉により鼻腔粘膜への刺激が減っていますので涙液の生成自体も減り、乾燥状態を修復しにくい環境が維持されてしまいます。さらに短頭種ではマイボーム腺の機能不全が多く、正常な涙膜の形成が阻害されて涙がすぐに乾いてしまう可能性も指摘されています。
角膜炎・角膜潰瘍
マズル周辺の毛や異常まつ毛が刺激となり、角膜に慢性的な炎症が引き起こされます。増悪要因は神経分布が少なく角膜が鈍感なことと水性涙液が少ないことです。瞬目反射(まばたき)が減り、結果として涙の生成が阻害されます。涙は角膜の治癒に直結していますので、軽い炎症でも治りにくくなり、慢性化から重度の角膜炎やさらにひどい角膜潰瘍が引き起こされやすくなります。
流涙症・目やに
角膜の神経が正常に機能していても問題が発生します。毛や空気中の異物によって眼球の表面が絶えず刺激を受けていると、涙の量が多くなり流涙症や涙やけ(被毛への色素沈着)が起こります。免疫細胞が関わっている場合は色と臭いがきつい粘液膿性の目やにとして溜まることもあります。
色素性角膜炎
色素性角膜炎とは角膜へのメラニン色素沈着を特徴とする炎症性病変。進行性で血管新生、瘢痕化、浮腫を併発することもあります。短頭種では角膜輪部の鼻側および側頭部における上皮が薄いため、この部位への慢性的な刺激が色素性角膜炎の原因になりえます。その他、眼瞼内反症や人間における角膜上皮幹細胞疲弊症(黒目を覆っている角膜上皮の幹細胞が新たな角膜上皮を生成できない状態)が発症に関連している可能性も指摘されています。
チェリーアイ
チェリーアイとは目頭にある第三眼瞼腺が常に露出した状態。中頭種よりも短頭種の発症率が高いことは知られていますが、詳細な理由についてはよくわかっていません。一例としては、マズルが短縮化することにより眼瞼靭帯に緩みが生じ、腺組織を内部につなぎとめておくことができなくなるなどが考えられます。
眼球脱出
眼球脱出とは文字通り眼球が外に飛び出してしまった状態のこと。短頭種は眼窩が浅く眼球が常に前方に突出しているため、中頭種であれば耐えられるレベルの衝撃でも眼球がぽろんと飛び出してしまうことがあります。まぶたが完全に閉じていればブロックもできますが、兎眼だと外に飛び出そうとする眼球の勢いを食い止めることができず、発症につながります。外傷の主な例は交通事故、障害物への衝突、落下などです。
短頭種眼科症候群の予防
論文の筆者は犬の健康と福祉を尊重するなら、短頭種の繁殖に制限をかけることが必要であると主張しています。その最たる例がオランダでしょう。この国では短頭種の犬や耳折れの猫が繁殖されないよう法整備が進んでおり、繁殖・飼育だけでなく広告やSNSでの画像の垂れ流しも禁止される予定になっています。
BOASにしてもBOSにしても、突き詰めれば変わった見た目や可愛らしい見た目を求める消費者が生み出した人災です。疾患を発症することがわかっていて繁殖することは虐待の一種ですので、オランダを先例として法整備を進めていくことが望まれます。
オランダのピート・アデマ農相は2023年1月20日、短頭種の犬や折れ耳の猫など、見た目はかわいいが健康に悲惨な問題を抱える「デザイナーブリード」と呼ばれるペットの新たな飼育や広告・ソーシャルメディアでの写真掲載を禁止する方針を明らかにした。アデマ氏は「かわいいと思う気持ちが罪のない動物を悲惨な目に遭わせている。オランダはペットが見た目のせいで苦しまずに済む未来に向けて、大きな一歩を踏み出していく」と述べた(:AFP, 2023.1.22)。短頭種の犬においては呼吸器系の疾患である「短頭種気道症候群(BOAS)」が有名ですが、眼科系疾患を併発することがあまりにも多いため、今後は「短頭種眼科症候群(BOS)」という言葉もあわせて広めていく必要があるでしょう。
BOASにしてもBOSにしても、突き詰めれば変わった見た目や可愛らしい見た目を求める消費者が生み出した人災です。疾患を発症することがわかっていて繁殖することは虐待の一種ですので、オランダを先例として法整備を進めていくことが望まれます。
短頭種の飼い主は子犬の頃からハンドリングの練習をし、定期的に目のチェックをするようにしましょう。体の構造を変えることはできませんが病気の早期発見ならできます。