トップ犬の心を知る犬の祖先と進化イヌとオオカミ

イヌとオオカミ~深い関係性の謎を探る

 イヌが祖先であるオオカミと分岐を始めた場所やタイミングなどについて、最新学説とともに解説します。

イヌとオオカミの関係は?

 現在、7種あるイヌ属のうち、タイリクオオカミこそが、イヌ(生物学的にはイエイヌ)の直系の祖先であるという説が定着していますが、この説は複数の研究に裏付けられています。以下では代表的な論拠を見ていきます。なお、文中に登場するミトコンドリアDNAの解説は以下。
ミトコンドリアDNAとは
ミトコンドリアは細胞一つ一つの中に存在しており、主として有酸素運動に関与しています。  ミトコンドリアとは、1つ1つの細胞中に存在している独立した内燃機関のようなものです。主として酸素からエネルギーを作り出す役目を担っており、細胞核中のDNA(核DNA)とは別個のミトコンドリアDNA(mtDNA)を保有しています。核DNAが両親から受け継いだDNAのミックスであるのに対し、mtDNAは母親のものがそっくりそのまま子供に継承されます。この特性は、子供のmtDNAと母親のmtDNAが異なる場合、それは突然変異以外ありえないことを意味しています。

1993年・ロバート・ウェイン

 ロバート・ウェイン氏(Robert Wayne)らは、イヌ科動物を、ミトコンドリアDNA配列によって比較した結果、イヌはタイリクオオカミと最も近縁であり、コヨーテやジャッカルとは少し離れていたとしました。また、イヌとタイリクオオカミがお互いの子を作ることが可能であり、両者の間にできた子供も生殖可能であるという事実から、イヌとタイリクオオカミは遺伝学的には同じ動物であるとの結論に至っています。

1997年・カルレス・ヴィラ

 カルレス・ヴィラ氏(Carles Vila)は、今の所最も包括的な犬の祖先に関する研究を行った人物であり、「犬の祖先はオオカミ以外にはありえない」という結論を最初に導き出した人物でもあります。ヴィラ氏の研究チームは、ヨーロッパ、アジア、北アメリカなど27地域から採集した162にも及ぶオオカミのミトコンドリアDNAサンプルを解析し、これらを世界中から集められた67犬種、140個体分の犬のミトコンドリアDNAサンプルと比較しました。結果は、現在世界中に存在している犬は全て、それぞれ単独の4つの祖先から派生したというものでした。
 その中でも最も大きなグループには、ディンゴやオーストラリア、ニューギニアシンギングドッグなど、最も古いと目されている犬種に近いDNAシークエンスを有しており、またこのグループにはコリーやレトリバー種など、現存している犬の多くが含まれます。さらにこのグループのミトコンドリアDNAに特有のある配列は、比較対象となった162頭のオオカミには全く存在していないという事実も明らかになりました。このことは、現在世界中に存在している犬の大部分は、オオカミの祖先とはるか昔に分岐した、全く別の個体を祖先としている 、ということを物語ります。
 まとめると以下のようになります。まずオオカミとは少し違ったミトコンドリアDNAを有する犬の祖先種が生まれます。たった1頭生まれた変異種が他の個体と交配することにより新たな系統を作り出したのか、それとも偶然が重なり合い、同じ時期に4頭の変異種が生まれたのかは分かりません。しかしこの突然変異種が互いに独立した4つの系統を作り、今日存在している全ての犬の祖先4系統になった、というわけです。

オオカミはいつイヌになった?

 イヌの祖先がタイリクオオカミであると仮定すると、では一体地球上のどこでこの分岐が起こったのでしょうか?幾つかの説がありますが、近年になって発達したDNAを用いた分子生物学的な解析により、どうやら東アジアである可能性が高いということが分かってきました。以下は犬が家畜化された場所に関する代表的な仮説です。

西アジア起源説

 約1万2千年前のものと思われるイスラエルのアイン・マラッハ遺跡(Ein Mallaha)では、イヌ科の幼獣(子犬)らしき骨が発見されており、またこの幼獣に手をかける形で高齢の女性の遺体も発見されました。この事実から、当時の人間がイヌ科動物をある程度手なずけていたと考えられています。
 こうした考古学的な事実から、犬の家畜化は西アジアで最初に起こったとするのが西アジア起源説です。ちなみにこの遺体は現在パレスチナの「先史人博物館」(The Prehistoric Man Museum)に展示されています。 老女の遺骨は、左手をそっと子犬と思しき動物に寄り添わせています。

多元説

 カルレス・ヴィラ氏の研究チームは、ヨーロッパ、アジア、北アメリカなどから採集した162にも及ぶオオカミのDNAサンプルを解析し、これらを世界中から集められた67犬種、140個体分の犬のDNAサンプルと比較しました。結果は、現在世界中に存在している犬は全て、基本的な4つのオオカミグループから派生したというものでした。
 この事実から、イヌは特定のオオカミの亜種から派生したのではなく、世界中のさまざまな場所で複数の祖先を元に発展してきた、とするのが多元説です。

東アジア起源説

 ピーター・サヴォライネン博士らは2002年、ユーラシア大陸に生息する38匹のオオカミと、アジア、ヨーロッパ、アフリカおよびアラスカから集められた654匹のイヌから採取したミトコンドリアDNAを比較調査しました。その結果、南西アジアやヨーロッパのイヌに比べて、東アジアのイヌにより大きな遺伝的多様性を見出します。「遺伝的に多様である」状態とは、複数の遺伝子が長い年月をかけて交じり合ったことを意味し、それらがより古い起源をもつことの証拠となります。すなわち、東アジアにおいてイヌの遺伝子に多様性が見られるという事実は、イヌが古くからこの地に生息していたことを意味するわけです。
 このことからサヴォライネン博士は、すべてのイヌは、約1万5千年前あるいはそれ以前に、東アジアに棲息するオオカミから家畜化されたものを祖先とし、これが人の移動に伴って世界各地に広がったものと推論しています。これが東アジア起源説です。
 また2010年、核マーカーを用いた研究を行ったUCLAのブリジット・フォンホルズ博士(Bridgett vonHoldt)によれば、犬の祖先が中東に起源を持ち、犬の家畜化も地理的にこの辺で起こったのであろうと推測しており、東アジア起源説を補強しています。
 しかし反論もあります。コーネル大学・アダム・ボイコ氏は、サヴォライネン博士の研究に用いられたサンプルの中には、始めから遺伝的に多様性が高い土着犬がおよそ半数の割合で含まれていたため、東アジアの犬が頭抜けて多様だとは言い切れないとの見方を提示しました。
 これに対しサヴォライネン氏は2011年、ヨーロッパ、中近東、アジアから犬1,712頭のミトコンドリアDNAデータを改めて採取し、うち169頭に関しては全体を1,543頭に関しては一部のみを分析しました。その結果、調査した全ての犬に関し、DNAの少なくとも80%が共通していること、及び、東に行くほど遺伝的多様性が大きくなるという特性を見出します。そして特に多様性が大きかったのは、中国の長江南岸地域だということです。
 こうした事実から博士は、オオカミがイヌとして家畜化されたのは、およそ1万6300年前の中国南部あたりである公算が大きい、という結論を導き出し、かつて自分が提唱したイヌの東アジア起源説を自らの手で強化する形となりました。

オオカミはいつイヌになった?

 オオカミにはないイヌのわかりやすい特徴としては、小さな頭と脳、短いマズルと小さく密集した歯、人懐こさや従順性などが挙げられます。では、こうしたオオカミとは違ったイヌという種が誕生したのは、一体いつのことなのでしょうか?
 カルレス・ヴィラやロバート・ウェインらは、イヌとオオカミのミトコンドリアDNA間に見られる塩基配列の変異(およそ1%)が自然に生じるためは、およそ13万5千年という年月が必要であると算出しています。すなわち、イヌとオオカミとは、13万5千年に分岐したということです。ただしこれは、イヌの祖先が緩やかにミトコンドリアDNAの変異を繰り返したと仮定した場合の計算上の数字です。ミトコンドリアDNAに大きな変異をもった個体が1頭でも挟まれば、13万5千年という数字はぐんと短くなりますし、2頭3頭と増えればそれだけ1%の変異を生めるまでの時間は少なくてすむようになります。
 こうした観点から他の研究者たちは、犬の祖先に1頭の突然変異種が入り込んだ場合、イヌの家畜化は約4万年前にまでずれこみ、さらに、複数のオオカミが進化の過程に加わっているとすると、約1万5千年前にまでずれこむと試算しています。
 イヌの遺伝子が緩やかに変異したのか、それとも突発的に変異したのかを示す物証がないため、現時点ではいつイヌがオオカミから分岐したのかという時期については、推測の域を出ません。