詳細
脱毛症X(エックス)は、全身性疾患とは無関係に発症する非炎症性脱毛症の一種。ポメラニアンに好発すること、および比較的若い時期に発症することなどから関連遺伝子の存在が想定されています。しかし未知数を表す「X」が病名に入っていることからも分かるとおり、その発症メカニズムに関してはよくわかっておらず、遅発性低ソマトトロピン症、成長ホルモン反応性脱毛症、偽クッシング症候群、性腺切除反応性脱毛症、生検反応性脱毛症、副腎皮質過形成様症候群など、様々な呼び方が混在しているのが現状です。
今回の調査を行ったのは、スイス・ベルン大学が中心となったチーム。脱毛症Xを患った5頭のポメラニアン(未去勢オス2+去勢済みオス2+避妊済みメス1)と健常なポメラニアン(未去勢オス2+去勢済みオス1+避妊済みメス1)を対象とし、脱毛症Xを引き起こしていると考えられる遺伝子が何なのかを検証しました。それぞれの犬の脇腹から6mmの皮膚組織を採取し、トランスクリプトーム(transcriptome=特定の状況下において細胞中に存在する全てのmRNAや一次転写産物の総称)を調べたところ、患犬において47の遺伝子的特徴が見られたと言います。具体的には以下です。
Brunner MAT, Jagannathan V, Waluk DP, Roosje P, Linek M, Panakova L, et al. (2017) PLoS ONE12(10): e0186469, doi.org/10.1371/journal.pone.0186469
脱毛症Xの遺伝的特性
- Wnt経路Wnt経路は毛包の正常な生理サイクルを調整するメカニズムの1つで、毛包幹細胞の活性化と分化に関わっている。患犬ではWntタンパク(WNT10B・ WNT5A)およびWntシグナリング受容体の発現に関与している遺伝子の低下調整が確認された。
- Shh経路Shh経路は毛包の正常な生理サイクルを調整するメカニズムの1つで、毛幹の成長相(アナゲン)の発現に関わっている。患犬ではSHHやSMO、およびPTCH1受容体、転写制御因子GLI1とGLI3の低下調整が確認された。
- 性ホルモン関連遺伝子●HSD17B14遺伝子の低下調節
HSD17B14遺伝子は17β-ヒドロキシステロイドデヒドロゲナーゼ14 (17β-HSD14)を生成する。17β-HSD14は皮膚の中で発現し、エストラジオールを酸化することで活性度を弱め、エストロンに変化させる。
●CYP1A1およびCYP1B1遺伝子の低下調節
CYP1A1遺伝子の生成するCYP1A1とCYP1B1遺伝子の生成するCYP1B1はエストラジオール(最も強い生理活性を持ったエストロゲン)とエストロン(中等度の生理活性を持ったエストロゲン)の代謝に関与し、活性度を弱めるとされている。
●ESR2遺伝子の低下調節
エストロゲン受容体2(ESR2)遺伝子は、エストリオール(最も弱い生理活性を持ったエストロゲン)と親和性が高いエストロゲン受容体-βの発現に関与している。 - ビタミンD関連遺伝子患犬ではビタミンD受容体(VDR)遺伝子、レチノイドX受容体γ(RXRG)遺伝子、ビタミンD経路(ビタミンD3を活性化するCYP27B1と、ビタミンDの分解過程に関与しているCYP24A1)の低下調節が確認された。ブタやマウスではビタミンDがエストラジオールの生合成に関与していることが示唆されている。
- KISS1遺伝子患犬ではキスペプチンを生成するKISS1遺伝子の低下調節が確認された。KISS1の低下により弓状核における性腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)の分泌量が低下し、HPA軸を介して性ホルモンの代謝に影響を及ぼしていると推測されている。
Brunner MAT, Jagannathan V, Waluk DP, Roosje P, Linek M, Panakova L, et al. (2017) PLoS ONE12(10): e0186469, doi.org/10.1371/journal.pone.0186469
解説
脱毛症Xを患う犬の被毛の根本を組織学的に見ると、テロゲン(休止相)が多く、アナゲン(成長相)が少ないとされています。当調査においてもアナゲンの発現に関わる「Shh経路」の低下調節が確認されましたので、患犬においては毛周期が遺伝子レベルで乱れている可能性が伺えます。
脱毛が全身ではなく局所的に生じる理由としては、局所的な性ホルモンの乱れで説明できる可能性があります。当調査では性ホルモンの中でもエストロゲン(生理活性順にエストリオール<エストロン<エストラジオール)の代謝に関わる遺伝子の低下調節が多く確認されました。エストロゲンはテロゲン(休止相)からアナゲン(成長相)への移行を阻害する作用を持っていることから、「皮膚におけるエストロゲン関連遺伝子の変異→局所的なエストロゲン濃度の変化→アナゲンの発現障害→脱毛!」という発症メカニズムが浮かび上がってきます。皮膚のエストロゲン代謝に関わっているビタミンDの関連遺伝子にも低下調節が認められましたので、脱毛症に性ホルモンが関わっている可能性はかなり高いと考えられます。
過去に行われた調査では、性腺刺激ホルモン放出ホルモン(GnRH)の代替成分であるデスロレリンにより、未去勢のオスでは75%で毛の再生が認められ、避妊済みのメスでは60%で良好な反応が見られたといいます。一方、GnRHの分泌を抑制するメラトニンの投与により60%で脱毛が改善したという矛盾した報告も併存しています。GnRHおよびその結果として分泌される性ホルモンが脱毛症Xの発症に関わっていることは間違いないのでしょうが、その詳細なメカニズムを解明することは一筋縄ではいかないようです。