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犬の従順性を作り出しているゲノム領域を特定か?

 人間に対して高度な従順性を示すマウスを対象とした実験により、犬の人なつこさを作り出しているゲノム領域が絞りこまれました(2017.7.10/日本)。

詳細

 地球上には非常に多くの動物種が存在しているにもかかわらず、人間によって家畜化されている動物の数はわずか数十種類に過ぎません。家畜化される動物とされない動物とを分け隔てている最も重要な要素は、人間が近くにいても怖がらない気質だと考えられています。
 「受動的従順性」とでも言うべきこの気質に関しては、ロシアの遺伝学者ベリャーエフが1950年代、ギンギツネを対象として行った革新的な交配実験により、人間の手を恐れない個体同士をかけ合わせていくと、極めて従順な性質を持った系統を作り出せることが確認されています。
 一方、人間の存在を気にしないだけでなく、自らの意志で積極的に近づいてくる「能動的従順性」を有した動物に関しては、これまで系統だった研究が行われておらず、遺伝的にどのようなメカニズムが機能しているのかに関してもよくわかっていませんでした。
 今回の調査を行ったのは、日本の国立遺伝学研究所とイギリス・ロンドン大学から成る共同チーム。世界8ヶ国から野生マウスの遺伝子を多く含んだ8つの系統を集め、「自ら積極的に手に近づいてくる」という行動パターンを偶発的に備えた個体だけを選別して交配を繰り返しました。その結果、ペットマウスでは見られない「能動的従順性」を持つ新しい系統を作り出すことに成功したといいます。 通常のペットマウスは、自発的にニンゲンの手に近づいてくることはない  次に調査チームは、上記「能動的従順性」を持つ系統のゲノム解析を行い、行動特性を生み出している遺伝的背景を検証しました。すると、マウス11番染色体上にある「ATR1」および「ATR2」と呼ばれる2つのゲノム領域が関わっている可能性に行き着いたといいます。またこの領域は、高度な従順性を示す犬とそうでない犬とを比較した時、最も大きな違いが見られる9番染色体の領域に一致したとのこと。 犬とマウスの従順性を作り出しているのは同じゲノム領域  こうした結果から調査チームは「ATR1」および「ATR2」というゲノム領域が、犬の家畜化過程で強い選択圧を受けたのではないかと推測しています。また、あまた存在する動物の中で、ごく限られた動物しか家畜化できない理由には、このゲノム領域が関わっているのではないかとも。
家畜動物はなぜ人になつくのか~人に近づくマウスをつくり遺伝のしくみを解明~ Selective breeding and selection mapping using a novel wild-derived heterogeneous stock of mice revealed two closely-linked loci for tameness
Scientific Reports 7, Article number: 4607 (2017) doi:10.1038/s41598-017-04869-1

解説

 「ATR1」および「ATR2」というゲノム領域は、神経伝達物質の一種「セロトニン」の調整に関わっています。具体的には、セロトニントランスポーターをつくる遺伝子「Slc6a4」を含んでおり、脳内におけるセロトニンの量を調節していると考えられています。
 神経伝達物質と気質の関係性では、遺伝学者ロバート・クロニンジャーが提唱した「気質の3軸モデル」が有名です。具体的には以下のようになります。
気質の3軸モデル(ヒト)
  • 新奇性探求 主にドーパミン系の神経伝達物質が関わっていると考えられており、興奮しやすい、衝動的、慎重、禁欲的などの行動特性として現れる。
  • 損害回避 主にセロトニン系の神経伝達物質が関わっていると考えられており、不安症、抑制的、無鉄砲、自信過剰などの行動特性として現れる。
  • 報酬依存 主にノルアドレナリン系の神経伝達物質が関わっていると考えられており、感情的、依存心が強い、批判的、現実的などの行動特性として現れる。
 また1991年、M.J.Raleighらがサバンナモンキーを用いて行った実験では、脳内伝達物質の1つであるセロトニンの体内濃度が個体の性格を大きく左右するという結果が出ています。具体的には、セロトニン値が最も高い個体は攻撃性が最も低く、その落ち着いた態度から支配的になりやすく、逆にセロトニン値が最も低い個体は攻撃性が最も高く、あまり落ち着きがないことから支配的になりにくいというものでした。
 上記したような既存の事実と今回の研究をつなぎ合わせて考えると、「従順性に関わるゲノム領域に選択圧がかかる→脳内におけるセロトニンの機能が増加する→人を怖がらないばかりか積極的に近づいてくるような極めて人なつこい個体が生まれてくる」となるでしょうか。
 犬と狼をゲノム上で比較したとき大きな隔たりが見られる領域は、人間に発症する「ウィリアムズ症候群」と関わりがあるとされています。この症候群の患者は非常に社交的で人懐こいことで知られており、「犬が私たちをパートナーに選んだわけ」(阪急コミュニケーションズ)の著者ジョン・ホーマンズ氏は、犬の人なつこさと遺伝的に共通している部分があるのではないかと予測しているくらいです。
 しかしゲノム領域と気質の関係性に関する研究はまだ黎明期ですので、どれも単なる仮説に過ぎません。これから研究が進むに連れて、犬が人間の最良の友になりえた理由が少しずつ遺伝的に検証されていくことでしょう。 犬の人なつこさは人間の難病「ウィリアムズ症候群」か? 犬は人間と共に進化してきた? 子犬の性格を形成するもの