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犬の異常な攻撃性とセロトニンの関係~しつけに反応しない問題行動に対する行動薬理学の可能性

 犬の見せる異常な攻撃性の原因が脳内における先天的な器質(生まれ持った解剖生理学的な構造)にある場合、通常のしつけや訓練には反応してくれません。こうした犬たちは諦めて安楽死すればよいのでしょうか?ボカスカ殴って一時的におとなしくさせればよいのでしょうか?それともそれ以外の方法があるのでしょうか?

器質として生まれ持った犬の攻撃性

 動物行動学の分野において犬が見せる攻撃行動は様々なタイプに分類されます。この中には生まれたばかりの子犬を守ろうとする「母性による攻撃行動」、食べ物や休息スペースを独占しようとする「所有権主張による攻撃行動」など、その行動自体が動物学的に妥当であり正常の範囲内とみなされるものがある一方、「事前の威嚇なしに突然噛み付く」「明白な理由もなく噛み付く」「刺激に対する反応が過剰(ちょっと触っただけで全力で攻撃してくる)」など、異常とみなされるものもあります。こうした異常な攻撃行動は通常のしつけや行動修正プログラムに反応してくれないため飼い主にとっては大きな悩みの種であり、飼育放棄や安楽死の対象になることも少なくありません。 犬の攻撃行動 生まれたばかりの子犬を守ろうとする母犬の攻撃性は正常の範囲内  異常な攻撃行動の原因には大きく分けて先天的なものと後天的なものとがあり、治療を行う前の段階で一体どちらなのかを正確に見極めることが必要となります。先天的な原因として有力視されているのは、脳内において神経細胞から分泌される伝達物質とその受容体の器質(=解剖生理学的な構造)的な個体差です。
 例えば霊長類を対象とした調査では、脳脊髄液中におけるセロトニン代謝物質「5-HIAA(5-ハイドロキシインドール酢酸)」の濃度が低い場合、怪我を伴うような激しい攻撃行動や向こう見ずな行動(群れから自発的に離れる・高所から飛び降りる etc)と連動していることが確認されています。また予見不能な攻撃行動を示す犬においても5-HIAAの血清濃度が低いことや、脳内のアドレナリン作動性受容体及びセロトニン作動性受容体に通常とは違う部分があり、調査した全ての部位(前頭皮質・視床・視床下部・海馬)において特にセロトニンとの強い親和性が確認されています。

攻撃衝動とセロトニンとの関係

 ベルギーにあるゲント大学の調査チームは、飼い主からの報告及び専門家の診断によって、身体的な異常がないにも関わらず病的な攻撃行動を見せる合計19頭の犬たち(オス15+メス4/体の大きさ、年齢、品種はバラバラ)を対象とし、セロトニン受容体の一種「5-HT2A」をターゲットとした特殊なマーカー分子を脳内に還流させることでセロトニンとの親和性や密度を計測しました。
 その結果、攻撃行動を示さない正常な犬12頭(オスメス6頭ずつ・平均4歳)のそれと比較して前頭側頭皮質におけるマーカー結合密度が高いことが判明したといいます。これは病的な攻撃性を示す人や自殺者の脳内で見られた特徴と同じだったとも。理由としては体内において自家生成されるセロトニン濃度が低いため、分子と結合していない開店休業中の受容体が多くなり、結果として試験的に投与したマーカーが多く結びついたからだと推測されています。
Brain SPECT in the Behaviourally Disordered Dog
Robrecht Dockx, Chris Baeken, Simon Vermeire, et al., PET and SPECT in Psychiatry, DOI:10.1007/978-3-030-57231-0_25

異常行動と行動薬理学

 後天的な「気質(=経験によって形成された振る舞いのレパートリー)」ではなく先天的な「器質(=解剖生理学的な構造)」が原因の異常行動に対しては、主に欧米において数十年前から行動薬理学によるアプローチが開始されています。これは投薬を通して神経伝達物質の受容体に働きかけ、行動を変容させるというコンセプトです。
 例えば過去に行われた調査では、衝動性のコントロールに問題がある9頭の犬を対象とし、脳内におけるセロトニンの再取り込みを阻害する薬が6週間に渡って毎日投与されました。その結果、前頭側頭皮質における5-HT2A結合能の顕著な減少、および行動の改善が確認されたといいます。これは体内で自家生成された少量のセロトニンがうまく活用されていることを示唆するものです。
 分子マーカーを用いた脳内スキャンの結果により、犬が見せる異常攻撃行動の根底には神経伝達物質の振る舞いが大きく影響を及ぼしている可能性が追認されました。病的な攻撃行動がもつ特徴の一つとして「訓練に反応してくれない」というものがありますが、訓練によって神経伝達物質分泌様式が突然変わるわけではありませんので当然といえば当然です。陰謀論が好きな人は「製薬会社の企みに騙されてなるものか!」と息巻いてその効果を否定するかもしれませんが、しつけと称して犬をボカスカ殴りつけるよりは投薬治療の方がいくらか人道的でしょう。
 ちなみに不安に起因する攻撃行動を示す犬に対しては、人間の難治性うつ患者に対して用いられる「経頭蓋磁気刺激法」(TMS治療)が試験的に行われており、治療後24時間で照射部位(左前頭皮質)の血液灌流量が改善し、行動の改善も見られたという予備的な報告があります。
 また投薬治療ではなく食事療法ですが、タフツ大学を中心としたチームは優位性攻撃行動、縄張り性攻撃行動、過剰な活動性を示す犬をそれぞれ11頭ずつ集め、食事中のトリプトファンによって行動にどのような変化が見られるかを検証しました。その結果、優位性攻撃行動を示す犬の場合は高タンパク質にトリプトファンを添加するか、低タンパク質の食事に切り替えることで穏やかになる傾向が確認されたといいます。また縄張り性攻撃行動を示す犬の場合は低タンパク質にトリプトファンサプリを添加すると攻撃性が減弱する可能性があるとも出典資料:DeNapoli, 2000
 トリプトファンはセロトニンの前駆物質ですので、ケースによっては食事だけで体内のセロトニン濃度が変化し、行動が改善する可能性もあるようです。市販のペットフードの中にも「穏やかな健康生活のサポートに」といった宣伝文句とともに配合されている商品があります。
トリプトファン配合フード
もちろん薬が万能というわけではなく、人間で確認されている各種の副作用も考えられます。原因を無視した的はずれな暴力的訓練法と比較してどちらが人道的かを判断することになりますが、子供に対する暴力が犯罪とみなされる現代社会において答えは自明でしょう。