バマーとラザラスとは?
バマー(Bummer)とラザラス(Lazarus)は、ずば抜けたネズミ捕り能力でサンフランシスコ市民に愛されたコンビ犬。
1860年代前半、バマーとラザラスという2頭の犬が、アメリカのサンフランシスコ市内を堂々と歩くことができたのは、「ネズミ捕り」という特殊技能を持っていたからでした。当時の市内では、繁殖しすぎたネズミを手際よく捕まえてくれる犬だけが、捕獲処分を免除されていたのです。 バマーは黒と白のニューファンドランド系。モンゴメリー通りにある「マーティンのサロン」界隈をうろつき、通行人からおこぼれをもらったりして暮らしていました。1861年のある日、バマーは体の大きな犬にこてんぱんにやられている雑種犬を目撃します。どういう風の吹き回しか、彼はこの哀れな犬を助けてやり、その後も親身になって介抱してあげました。看病のおかげで犬の怪我はすぐに回復し、それ以来、命の「恩犬」であるバマーに付いて回るようになります。この犬が、終生の相棒となるラザラスです。ラザラスも負けず劣らずネズミ捕りの名人だったため、バマー同様、例外的に捕獲処分を免れることができました。 ひょんなことから出会った2頭は、それ以降、サンフランシスコ市内を連れ立って歩くようになります。この姿を面白がったのが、当時の新聞記者たちです。彼らはこぞってバマーとラザラスの話を記事にするようになり、2頭がよく現れる「マーティンのサロン」に連日詰めかけ、新ネタを見つけようと躍起になりました。 しかし、バマーとラザラスの生活は、ほどなくして終焉を迎えます。
まず1863年、少年に噛みついた罰として、ラザラスが何者かによって毒殺されてしまいました。彼の死を受け、当時の新聞は「ラザラスへの哀悼」と題した死亡記事を掲載し、彼の生涯における冒険の数々を特集しました。
さらにそれから2年後の1865年、酔っ払いに蹴られたバマーが他界します。彼の死に対しては、当時記者をしていたマーク・トウェインが弔辞を掲載しました。
1860年代のサンフランシスコを代表する2頭の歴史は、ここで終了します。 彼らの死後、遺体は共に剥製にされ、しばらくの間は「マーティンのサロン」に展示されていたそうです。その後、1906年からは「ゴールデンゲイトパーク博物館」に保管されていましたが、1910年に破棄されたため、残念ながら現存はしていません。その代わり、1992年3月28日、サンフランシスコの「トランスアメリカ・レッドウッドパーク」に、2頭の活躍を記念した真鍮製の銘板が設置されています。 Bummer and Lazarus Encyclopedia of San Francisco
1860年代前半、バマーとラザラスという2頭の犬が、アメリカのサンフランシスコ市内を堂々と歩くことができたのは、「ネズミ捕り」という特殊技能を持っていたからでした。当時の市内では、繁殖しすぎたネズミを手際よく捕まえてくれる犬だけが、捕獲処分を免除されていたのです。 バマーは黒と白のニューファンドランド系。モンゴメリー通りにある「マーティンのサロン」界隈をうろつき、通行人からおこぼれをもらったりして暮らしていました。1861年のある日、バマーは体の大きな犬にこてんぱんにやられている雑種犬を目撃します。どういう風の吹き回しか、彼はこの哀れな犬を助けてやり、その後も親身になって介抱してあげました。看病のおかげで犬の怪我はすぐに回復し、それ以来、命の「恩犬」であるバマーに付いて回るようになります。この犬が、終生の相棒となるラザラスです。ラザラスも負けず劣らずネズミ捕りの名人だったため、バマー同様、例外的に捕獲処分を免れることができました。 ひょんなことから出会った2頭は、それ以降、サンフランシスコ市内を連れ立って歩くようになります。この姿を面白がったのが、当時の新聞記者たちです。彼らはこぞってバマーとラザラスの話を記事にするようになり、2頭がよく現れる「マーティンのサロン」に連日詰めかけ、新ネタを見つけようと躍起になりました。 しかし、バマーとラザラスの生活は、ほどなくして終焉を迎えます。
まず1863年、少年に噛みついた罰として、ラザラスが何者かによって毒殺されてしまいました。彼の死を受け、当時の新聞は「ラザラスへの哀悼」と題した死亡記事を掲載し、彼の生涯における冒険の数々を特集しました。
さらにそれから2年後の1865年、酔っ払いに蹴られたバマーが他界します。彼の死に対しては、当時記者をしていたマーク・トウェインが弔辞を掲載しました。
1860年代のサンフランシスコを代表する2頭の歴史は、ここで終了します。 彼らの死後、遺体は共に剥製にされ、しばらくの間は「マーティンのサロン」に展示されていたそうです。その後、1906年からは「ゴールデンゲイトパーク博物館」に保管されていましたが、1910年に破棄されたため、残念ながら現存はしていません。その代わり、1992年3月28日、サンフランシスコの「トランスアメリカ・レッドウッドパーク」に、2頭の活躍を記念した真鍮製の銘板が設置されています。 Bummer and Lazarus Encyclopedia of San Francisco
バマーとラザラスの写真
以下でご紹介するのは、ずば抜けたネズミ捕り能力でサンフランシスコ市民に愛されたコンビ犬「バマーとラザラス」の写真です。
フランス人漫画家エドワード・ジャンプは、バマーとラザラスという名コンビに、当時サンフランシスコで「奇人変人」として知られていたジョシュア・エイブラハム ・ノートン(自称”皇帝ノートン1世”)という人物を絡め、「The Three Bummers」という漫画を描いた。この漫画の商業的成功により、2頭の知名度と人気はより一層高いものとなったが、彼らが「皇帝ノートン1世のペットである」という誤解も同時に広まった。写真の出典はこちら。
1865年、バマーが死んだ際に漫画家のエドワード・ジャンプが描いた絵の下には、「Damon and Pythias」という文字が見られる。これはギリシア神話に登場する「デーモンとパイシアス」のことで、「友情」の象徴とされる。バマーの頭上には、すでに天国に行っているラザラスが、そしてベッドの下には、彼らの犠牲となったネズミたちが描かれている。写真の出典はこちら。
1992年、摩天楼として有名な「トランスアメリカ・ピラミッド」近くにある「トランスアメリカ・レッドウッドパーク」に、バマーとラザラスを偲ぶ銘板が設置された。 「2頭は吠えるときも、しっぽを振るときも、いつも一緒だった」と記されている。写真の出典はこちら。
「BUMMER & LAZARUS」というジンも販売されている。カリフォルニア産グレープ100%で、ほのかなシトラスの風味と、スパイシーな後味が特徴。写真の出典はこちら。